気仙沼の有志

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菅原 茂

(気仙沼市長)

菅沼 真澄

気仙沼市 副市長

「海と生きる」気仙沼の未来創造に向けて,「日本で一番住みたいまち」や「世界の港町」にだってなれることを信じて,気仙沼の有志は,市民の皆さんと同じ目線で,日々,悩み,走り回っています。
立場を超えた縁を大切に,尊敬や感謝の念を忘れずに,情熱を持って取り組んでいます。

小野寺 美厚

特定非営利活動法人ネットワークオレンジ 代表理事

東日本大震災から2年が経ちました。津波によって壊滅的な被害を受けた気仙沼は、沿岸部の街並み、主要産業である漁業や水産加工業もかつての姿には未だ程遠い状態で、あの日から時間が止まっている状況にあります。しかし、そこに暮らす人々の思いは着実に前に向かって歩き始めています。私は、未来の担い手となる仲間づくりを大きく展開していきながら、震災に負けないニュービジネスを気仙沼から世界に向けて発信していきたいと考えています。

加藤 靖史

中外製薬
【2015年10月~出向中】

2011年の東日本大震災は、福島県いわき市で勤務中の車中で遭遇しました。それから4年半、被災を受けたいわきで過ごしていましたが、街の人たちと関わる機会がほとんどありませんでした。気仙沼に来て4ヶ月が経ちました。気仙沼で出会った人たちは、まちの未来を想い、自分たちで創り出していく強い気持ちを持った方々でした。東北未来創造イニシアティブの活動も残り1年半を切りました。他の出向者と気仙沼のために心を一つにして、イニシアティブの一員として、まちづくり、ひとづくりに向けて力を尽くしていきます。

百瀬 旬

デロイト トーマツ
【2015年4月~出向中】

1000年に一度と言われる震災を受けた地域が、大きな危機感を共有し大改革に挑戦しています。この課題先進地域に身を置くと、ここに集まるすべてのリーダーシップに敬服し、全力でサポートしたいという思いがより強くなりました。
復興支援の状況も「復旧」から「復興」フェーズに移り、
さらには、地方創生の文脈も相まって、もはや震災前に戻すだけでは誰も満足する結果とはなりません。
新しい変化を生むには、地域を守る地元の方が「土の人」として育んでこられたものに、
いわゆるヨソ者が「風の人」として、その地域に入り、違った目線で変化のキッカケをつくってゆく…という例え話があります。
私は、任期満了のその日まで、その日を過ぎても、ヨソ者としての気概を持ってこのプロジェクトに参加し続けたいと思います。

沼津 広憲

ローソン
【2014年9月~出向中】

震災から3年半が経過して、私は出向してきました。気仙沼、東北に何のゆかりも無い私が何かの縁で、この東北未来創造イニシアティブに係る事になったのは、偶然では無く、きっと理由があるからです。気仙沼で出会った人たちは誰も落ち込んでいません。街の人達はみんな、震災前の街より良い街にしようと前を向いてに毎日を過ごしています。この大災害と、それを乗り越える人達の強さを、私たちは未来に伝えて行く義務があると感じました。直接訪れて見るのとテレビで見るのでは、全く違います。直接見て、聞いて、感じて欲しいです。本当に人生の勉強になります。高校生や大学生の若い世代の方々や、都会で暮らす方々に沢山来て欲しいです。私は、気仙沼に沢山の人が訪れる街になる為に、頑張る人達の少しでも力になりたい。そう思っています。

松谷 慶子

アイリスオーヤマ
【2014年5月~出向中】

震災から3年が経過しても、がらんどうなままの町。それを見て、14年ぶりに生まれ故郷である気仙沼に帰ることを決めました。「陸の孤島」と揶揄されることもありますが、私は海と山に囲まれたこの町が大好きです。この町が、水産・観光の町として再びにぎわいを取り戻していけるよう、全国と気仙沼、そして気仙沼で活躍する人たちのつなぎ役として、力を尽くしていければと思っています。

小松 志大

富士通
【2013年4月~出向中】

先の東日本大震災の大津波により、気仙沼市は基幹産業である水産業をはじめとして壊滅的な被害を受けました。しかし、大津波は甚大な被害と同時に、地域に 変革促すチャンスをもたらしたという意見が地元にあります。私もそう思います。ピンチの今こそ新たな気仙沼市の未来を創造するチャンスだと考えます。「海 と生きる」水産都市気仙沼の再生に向け、地域のリーダーと手を取り合いながら、水産業の再生と新産業の創出に日々邁進して参ります。

森 成人

リクルート
【2013年4月~出向中】

被災地に実際に来て、被災者に会い、仮設に住み、復興に向けて行政で働くという1民間企業ではなかなか得難い環境を経験させていただいています。今まで企業に属しビジネスを作るという仕事は経験してきたが、市長の直下で街の課題に向き合い、街づくりに関わるお仕事を経験できる機会はここでしかないように思います。また、同友会傘下の各企業の皆様とチームを組んで仕事を行うのは、各企業の考え方の違いや得意分野を理解するなど日々学ぶことが多く、一人のビジネスパーソンとして視野が広がっているように思います。残り一年は、この一年で肌で感じた経験をもとに被災地に必要な復興事業をより具体的にしていくことに挑戦していきたいと思います。

関沢 太郎

中外製薬
【2013年7月~2015年12月出向満了】

企業文化の異なる出向者と仕事をすることによる思考面・業務面での学び、チームで足並みを揃えることの難しさとその解決方法、普段は話せないような企業経営者との対話、地元内外の協力者との連携構築、新組織の立ち上げ、事業構想書の作成。これは私が気仙沼に来てたった4カ月の間に経験したことです。自分たちの行動が、業種や地域を越えて気仙沼の街を活性化させ、新たな一歩を踏み出すきっかけとなっているのを肌で感じることができます。残りの一年半でどれだけ気仙沼を上向かせることができるのか、同時に自分がどれだけ成長ができるのか非常に楽しみです。

明田 竜一

武田薬品工業
【2013年4月~2015年3月出向満了】

気仙沼で出会う多くの人々は、東日本大震災で多くのものを失ったにもかかわらず、街に対する「貢献」を強く意識された素晴らしい人ばかりです。しかし、ノウハウや人手が足らず、自らが掲げる「貢献」を思うように実現できていない方々もいます。そこで、人材育成道場や、市長支援の業務を通じて少しでも多くの方々と関わり、成功事例を共有し、これからの気仙沼を背負う人々の育成に協力していきたいです。

大矢根 寿子

ローソン
【2012年12月~2014年8月出向満了】

気仙沼をどう復活させ、発展の礎を築いていくか。外からの視点はとても大きな力になると思っています。一方で、気仙沼には自分たちの暮らすまちを自分たちで何とかしたい、という強い想いを持った方が大勢います。そんな方々が、外からの視点をうまく活かしながら発展に繋げていけるよう、気仙沼と日本全国を結ぶ「ゲートキーパー」でありたいと考えています。そして私自身も、地元に寄り添いつつ、常に「よそ者」であり続けます。